いちじくの花

あたしはイチジク、略してあーイク

中身

 かぶとむしの蛹を潰したことがおれはある。朝にざんざかと落とされた水が陽に灼かれて天に戻って行く、むせかえるように甘ったるい六月の午後二時……安っぽい唐揚げに似た奴の腹に割り箸を突き刺して少しずつ広げると、腐り溶けた牡蠣のような濃厚な蜜が、どこでもいいから外の世界に出たかったとでも言いたげにびゅくびゅくと漏れ出て来た。おれにそれをしろと命じて来た女は同い年の癖に無理に大人ぶったいつもの態度を消し、しげしげと唐揚げを見つめながらその整った顔立ちを無邪気に崩して喜んでいたが、今にして思えばそれは奴の死に様が、寸止めに失敗し幸福の絶頂の「いく」瞬間にだけ擦られることなく終えられてしまった無様な射精にひどく似ていたからだった。ひとしきり奴を弄び僅かに出来た神経のようなものをひきずり出し終えると女は興味を失ったらしく、小便がしたいから周りを見張っていろとおれに言いつけておもむろにホットパンツを下げた。女の小便が滔々と流れて土に当たる音を聞きながら、こどものおれは破れ果てた奴の精液から漂って来るベトつくような腐葉土の臭いに興奮し、まだすべすべとしている小さな男根を固くして上向かせた。夢心地のまま破り捨てられたやつの死に様のむごたらしさを想像してそれを触ると背骨の下の方から小便が出て来そうな感じがして来たが、用を終えた女に呼び止められたせいで気が散り、それを至らせることは叶わなかった。おれは自分の股についている幼いそれの意味をまだ知らなかったが、女は父親が多かったのでとうに気が付いていたのだった。

 

 コンビニのウイスキーのとびきり安いやつを抱えてアパートに戻ると、朝の陽射しがおれの布団に巣食ったダニを焼いている。今日の仕事もなにもなくただ疲れただけだったから、おれはせめて考え事もしないようにと酒を飲む。疲れ切り何も胃に入らないおれは胡瓜の浅漬けを後生大事に噛み砕き口の中でペーストのようにして、それをエグ味深いウイスキーでぐいと流し込んで独特の青臭さを楽しむ。まるで自傷だ。生きていることが分からないからこんなことをするのだろうと思いながらおれは寝転がりなにも考えないようにする。生きていることを知る為に何かを感じたくなってちょっとした舌の自傷を企ててみたり、はたまた何も感じたくなくなって倦怠の内に身を任せてみたり、にんげんのすることはよく分からないなと思ったが、そのにんげんがおれであることに気が付いて少しおかしくなりおれはニマリとした。

 強い酒を飲み干し仰向けになって朝の太陽を眺めているとおれの全身はとろけ、自分が今の形を保っていることが疑わしくまた不思議に思えて来て、もしかして自分の体には硬い殻と、その他のどろどろになったすべてしかないのか知らん、等と考えていたが、ふとあの安っぽい唐揚げのことを思い返すと、奴の心地もおれのようにそう悪くはないものだったのだろうか、と自問したくなるのだった。今おれの腹に長ドスが突き刺され、若く新鮮でまるで不健康な血とすりきれたはらわたが飛び出して来たら、茶け始めた煙草臭いシーツと下ろし立ての白い夏掛けが見事な深紅に染まるだろうし、それはなんとも素敵なことじゃないか!奴の惨たらしい死に方も、奴にとってはそう甘美なものでなくはなかったのだろう。

 そういえば帰り道の街道で、破裂してその後つぶされたような形の肉を見つけてきた。傍らにはドブネズミのしっぽだけが形を保って寂しく転がっていた。半ば夢の中にいるおれや唐揚げのそれはともかく、少なくとも彼にとって死は心地好くなかっただろうなと思う。それは彼が硬い殻に包まれておらず、また自ら動くことが出来ない訳でもなかったからだ。そしてつぶれた肉は腐って行く。爛々と輝きおれを苛む太陽の厚かましさが疎ましく、おれは出来ることなら砂漠に独り立つサボテンになりたいと思った。サボテンは触れるものを全て傷付ける硬い殻に覆われているし、腹の中には果肉がたっぷりと詰まっていて、太陽の下で情熱的に死ぬ時にも、月の下で孤独に死ぬ時にも、きっと心地好くてたまらないだろうから。動くことの出来ないサボテンには絶対の孤独がある。サボテンは選ぶことの出来ない孤独の中にあるのだ。そこを行くと黒猫は悲しからずや、黒猫に生まれただけで目くじらを立てられ、どこへでも歩いて行くことが出来るのに、どこに行っても愛され切ることが出来ない。とは言えど孤独に酔い切ることも出来ない。黒猫の顔、黒猫に生まれて来て何が悪いとでも言いたげな堂々とした顔を見ると、おれは黒猫の強い生き様を思って泣きたくなり、あれかにもあらぬまま眠りへと落ち込んで行くのだった。

  太陽はまだ朝の勢いのまま厚かましく輝いていた。寝ていたおれは突然に胃が縮むような感じがし、フラフラと歩いて便器に顔を突っ込み胃の中のものを全て吐き出した。吐くときの顔の角度が悪かったらしく、ぐちゃぐちゃになった胡瓜が鼻に詰まり、おれはしきりに洟をかまなければならなかった。吐き気がおさまらないおれはそのまま便座カバーに頭をもたれさせて寝ることにし目を閉じたが、そのせいで吐き散らかした胡瓜の色そのままの緑色の海の夢を見た。夢の中のおれは緑色の海を眺めてひとしきり泣き、サボテンの内臓はこんな色だろうか、と思いながら孤独に身を震わせていた。