南極まで

逃げて逃げてどこまでも逃げて、南極まで逃げて自殺する

わたし大人になるのがこわい (前編)

※一切はフィクションであり私は実在致しません

 その日が姉の誕生日だったことを思い出したのは、新宿に向かう電車に乗ってからだった。とは言え新宿にさしたる用があるでもなし、久方ぶりに姉に会っておこうと逆方向の電車に乗り換えようと思ったが、運良く乗車してすぐ座れたこともあり、立ち上がるのが面倒でそのままズルズルと新宿まで乗っかってしまっていた。まあせっかく新宿に来てしまったのだから姉の好物であるトップスのチョコケーキでも買おうと小田急百貨店の地下に行ったものの、いちど改札を降りてしまったことでまた運賃を払わねばならないし、なにより逆方向の電車に乗って途中駅で姉の家に向かう路線に乗り換えるよりも、新宿で小田急の側の改札からJRを乗り越えて姉の家に向かう路線に乗り換える方が、ずいぶん長いこと歩くことになり却って億劫であるということに気が付き、思えば東京に来たばかりの頃は南新宿まで行くのにわざわざJRを降りて小田急に乗り換えていたなあ、などと考えながら、7年も暮らしていても一向に東京に慣れない自らの性分を恨んでいた。

 ドライアイスをそれなりに詰め込んだケーキをぶら下げてあくせく歩き姉の家に向かう路線に乗り込むと、つかれていたのかすぐさま眠り込んでしまい、次に目を覚ましたのは30数分後、半数の人が乗り換えるであろうターミナル駅への到着を告げる大きめの声のアナウンスを聞いてだった。ガチガチに固まった背筋をいくらかほぐして階段を上りホームを渡れば、昔懐かしい黄色の鈍行電車が見えて来る。ぼくは昔あの黄色い電車が大好きだった。姉の家の三階(建築法上厳密に言えば本来は二階で、一階に当たるスペースが地下室扱いなのだが)の窓からボーッと外を眺めていると、キッカリ10分おきにあの黄色い電車が走って行く。電車なんかろくに通っていない北国の生まれのぼくには、大好きな電車がいっぱい来るというだけで十分に興奮するに値したし、それにぼくはなんでもかんでもキッチリと定められたものが好きだった。本棚もキチンと並べておくし、朝ごはんのおかずを食べる順番も決まっている。偏屈小学生の僕にとっては、オトナだけが毎日乗るというあの黄色い電車はオトナ社会の秩序の象徴のようなもの、どうしようもなくカッコいいものにしか思えなかった。叔父さんはある日とつぜん黄色い車に載せられてコーシエンに入れられて以来ずっと帰って来れないのだと周りの大人は噂していたけれど、当時の僕にとって黄色い乗り物はオトナの乗り物だったから、叔父さんは甲子園(正しくは「厚生園」か「更正園」だったように思う)に行っていい思いをしているのだろうと、ぼくは頑なに信じていたものだった。

 黄色い電車に乗り込むと大学生らしきマナーの悪い三人組が向かい側に座っていた。まだ眠気が残っていて本を読む気にもなれないし、それに騒ぐ三人組の甲高い早口の声が耳障りでとても眠れそうになかったので、ぼんやりと窓の外を見つめながら迷惑な三人の話を聞いて素性を思い描いていると、彼等がどういう集団であるのかが朧気に分かって来た。曰く、三人はどうやら早稲田大学早稲田キャンパスの人間であるらしいということ、いま電車の吊広告にかかっているアニメの聖地巡礼にこれから行くらしいということ、三人とものんのんびよりも好きだということ、一人の名前はモトハシ、別の一人の名前はアキラだということーーー僕ものんのんびよりがそれなりに好きであるから、斯様な傍若無人の輩と同じ属性で括られることが不愉快でない訳ではなかったし、これから彼等が行く先の土地の人々には、はしゃいだ聖地巡礼客の素行の悪さに辟易して当該アニメの愛好者全体に悪印象を抱いてしまう人もあるだろうことを想像し、彼等と同じ趣味の善良な人間には大変に気の毒なことであるな、彼等にもせめて他人様にだって踏みにじってはならない故郷があるということを知って貰って、道行く土地の人が馬鹿にされた気分になったり偏見の目で見られている気分になったり果ては恐ろしい事件に巻き込まれてしまうように勘違いしたりして顔をしかめざるを得なくなるような言動を敢えてはしないようになれれば良いのにな、と思った。

 それにしてもアキラという名前だけは好ましいなとぼくは感じた。漫画のAKIRAが好きなのもあるが、それだけではない。アキラという名前には、どことなく人を寄せ付けないような、純粋で繊細な響きがある。それはきっと子供の頃に仲の良かったアキラのせいだろうと考えたが、アキラは繊細なタチでもないし、人を寄せ付けないと言うよりもどちらかと言えば人懐っこいタイプであったように思える。アキラは元気いっぱいの子だったーーー

 ぼくの小学校には登校班なるものがあった。登校の際に下級生が事案に巻き込まれないように、上級生を管理役の班長として、同じ地域のこどもたちで固まって登校をする、というものだ。ぼくの地域には一つ上の大蔵くんという男の子がいたが、彼はいわゆる「問題児」で自分の身の回りのこともままならぬようであったので、教師やPTAの話し合いの結果、今ではその面影は見るべくもないが当時はまだ県随一の神童の誉れが高かったぼくが、五年生ながらに班長を務めることになった。同学年のマドンナであった渡邉さんに統率力や人望のあるところを見せ、同じく渡邉さんを好いているスポーツ少年の岡田くんに水を空けようとして、当初のぼくは随分と張り切っていたように思う。

 ぼくの班にアキラが入って来たのは五年生の九月だった。九月から新しい子が入って来ることになったから名簿を更新しておきます、と言って夏休み前に先生に渡された真新しい用紙の一番下には「福永 晶」という名前が入っていた。名簿順の位置からしてどうやら一年生らしかった。一体どういう子が入って来るんだろう、と夏休みの間ときどき想像をした。きっと活発な男の子だろう、大蔵くんの弟のケンジとは仲良くなれるだろうか、もしも乱暴な子だったらどうしようーーーぼくの中で「福永 晶」はときに楽しい想像の、ときに不安の種になっていた。8月31日の夜、ぼくの頭はほとんど福永晶のことでいっぱいだった。

 新学期の朝はかなり早く集合場所に向かった。誰もいなかったので暫く空き地で粘土探しをした。この粘土で教科書通りの縄文土器を作るのが、その頃のぼくの密かな野望だった。土を掘っているぼくの後ろに軽の白いワンボックスカーが停まったかと思うと、髪を薄い茶色に染めた若くて少し派手な母親と、真新しい一年生の帽子を被った幼い女の子が降りて来た。「ねえボク、12班の集合場所ってここ?」大人らしからぬ馴れ馴れしい喋り方にぼくは少し困惑した気がした。「そうです。ぼくは班長の高柳です。もしかして福永さんですか?」今日この場所に来てぼくにものを訊ねるのなんて福永さんだけの筈だーーーとぼくは理性では理解していたが、そうは言うものの目の前にいる福永晶らしき子供はどこからどう見ても女の子で、想像していた腕白な「福永 晶」とはまるで違う。ラメ入りの金色で英文の書かれた少し派手な黒いシャツ、モーニング娘のメンバーのような睫毛が長くてパッチリとした目、子供ながらに整った鼻筋、まだ一年生なのに変に長く見える手足、女の子らしくないところと言えば生白男の僕よりもずっと男の子らしく見えるほど日焼けした浅黒い肌ぐらいーーー本当にこれがあの「福永 晶」なのか?としばらく理解が停止していたが、母親に「ホラ、挨拶しな」と小声で促されて彼女が言った「はじめまして!!!ふくなが!!!あきらです!!!」という叫びにも似た挨拶を聞いて、「ああ、この子が福永君なのだな……」と、否応なく理解されることになった。

 一通りの挨拶を終えるとお母さんは彼女に少し手を振って、手際良く車でどこかに行ってしまった。お母さんの車は後ろのガラスにゴテゴテとステッカーが貼ってあって、音楽に興味の無いぼくにはなんだかよく分からないけれどもどうやら浜崎あゆみらしい曲を割と大きな音で鳴らしながら走っていた。お母さんの姿が見えなくなるとぼくは彼女と少し話をした。家は川の向こうの隣の市に割と新しく出来たマンションだということ、ずっと静岡に住んでいたということ、お父さんの転勤でこちらに来たということ、本来は隣の市の小学校に行かねばならないのだが、わざわざ車でこちらの市の小学校まで来ていること、歩くのは得意なので、その気になればお母さんがいなくても頑張って学校に来れるということ、等々……彼女の話を聞きながら、ぼくは勝手に「もしかしてジエータイの子なのかな」と考えていた。一年生の九月だなんて変な時期に転校するのはジエータイの子でもなければ珍しいことだろうし、それに彼女の運動に自信があるような口ぶりと引き締まった手足、そして男の子のように日焼けした浅黒い肌は、ぼくの中にあるジエータイの屈強なイメージと合致していた。ぼくの学校の先生には担任教師を始めとしてジエータイ嫌いの先生が多かったので、もしジエータイの子供なら苦労するかもしれないな、とぼくは思った。ぼくは教師に理不尽に苛められる彼女を勝手に想像して、勝手な同情心に駆られていた。彼女は上手くやって行けるのだろうか……

 とは言えそんな心配はどこ吹く風、彼女は底抜けに快活だった。整った容姿をしているにも拘わらず少しアホに見えてしまうぐらい快活だった。他のこどもたちが登校して来ると先程ぼくにしたような大声の挨拶を一人一人回ってして、下級生の子とは何かの話題ですぐに打ち解けて仲良くなっていた。程なくしてぼくとも仲良くなり、すぐに下の名前で呼ぶようになった。頭の良い方の子ではなかったが、虫や草花が好きらしく知識も豊富で、ぼくが生き物の生態の話をすると興味津々で聞き入ったものだった。

 他にもアキラには変わった趣味があって、飛行機やヘリコプターなど、空を飛ぶものがどうやら好きなようだった。こども会の行事だったか、それとも全校遠足だったか、アキラを連れてヒコーキ公園に行った時にはそれはそれはもう大はしゃぎで、最近好きだという赤くて小さなヘリコプターの話を飽きもせずずっと喋り通していたし、昼食の焼肉の時間にも(昼食があったということはこども会の行事かもしれない)話に熱中する余り鉄板に塗る用の脂のサイコロを気付かず食べて吐き出していたのを覚えている。ヒコーキ公園とは一体何か、その説明はぼくたちの子供時代を語るのにかなり重要であるから、少しばかり解説させて頂こう。ぼくの住む町から東の大きな街の方へ車で何十分か行ったところの道端には大きな飛行機が展示してある公園があって、こどもたちはそこをヒコーキ公園と呼び習わしていた。男の子はヒコーキ公園の噂が大好きだった。あの飛行機は実物であるらしい、ちょっと前までは実際に飛んでいたらしい、ナイショだけど変形するらしい、アメリカみたいにジバクテロが来た時には変形合体して戦いに行くらしい、作ったのはまだ小学生の天才少年であったらしい、いや、実はただのハリボテらしい……まだみんなヒコーキ公園の真実を知らなかった下級生の頃には、ヒコーキ公園の噂話になると決まって論争になるものだった。え、いったいどれが「真実」なんですって?それはもう、あの飛行機は実は天才少年が開発した秘密兵器で、良い子のピンチの時には変形合体してロボットになって戦いに行く、というのが本当だったに決まっているではありませんか。

 アキラとの親しい関係が続いたのはぼくが中学に入るまでだった。ぼくは精神年齢の発達が小学生で止まってしまっていた為、下級生の彼等とまだまだ話が合わないでもなかったのだが、中学に入り集団登校の義務が解けるとぼくは遅刻ギリギリまで登校を粘るようになったので、アキラたちとは会うことが殆どなくなっていたのだった。ぼくがまたアキラと会って遊ぶようになったのは、ぼくの左肘が野球肘とテニス肘にいっぺんにかかって25度に曲がったまま伸びなくなり、部活動を引退することを余儀なくされて放課後の時間を持て余しブラブラと河原を歩くしかすることがなくなった中二の秋の新人戦の時期からだった。その頃なぜかアキラも家に帰らず河原に足が向くことが多くなっていたーーー

つかれたんで生きてたら明日また書きます