いちじくの花

あたしはイチジク、略してあーイク

日記たち

 ここ一年ほどローカル媒体でしか日記をつけていなかったので、この前のように急に再現不可になってしまうと恐ろしい。過去一年の日記の中で内容的に意味のあるものを、登場人物の実名などは適宜変えながら転載することにした。思い出には美しい日々しか残らないと言われるが、僕のそれは記憶ではなくハードディスクの磨耗によって行われる。

 

2019年12月8日

 朝目が覚めて、夢の影響だろうか、人間の精神は言い訳で成り立っているとふと思う。人間のすべての言論には根本原理がある。「結局ヤリモク」これは中学時代から気付いていた肉体の根本原理だが、他にも「結局マウントを取りたいだけ」「結局生き延びたい」など……サルどもの行動原理はこれだけで事足りる。こういうのを生殖的に適応と言うのだろう。では、宗教者の根本原理とは?思うに、人間の精神には何か無償の善行を成したいという願望がある。そうすればドーパミンが出る、とも言い換えられるかもしれない。宗教にはそうした、個の生物としては反生殖的な行動を心理的に正当化し、また『照れ臭くなくする』効果がある。社会的動物として進化して来た人間に特有の生存ツールなのだろうか?しかし、適応であるならばなぜ、偽善的(?)行動には恥の感情が残存しているのだろうか?

 

2019年12月29日

 梅野君が来月から北京に留学するというので会って来たのだが、酔い過ぎて「生と死は拮抗状態にあり、最後は死が勝利する」「生と死は戦争と平和の如く行為と状態とで平等な立ち位置にはない」という演説を延々ぶって正木先生に呆れられてしまった……
 生きたいががんばれない障害者は手厚く支援してあげなければいけない。しかし生きる気のない障害者は安らかに死なせてあげなければいけない。生と死は価値的に平等で、死から生へ立ち返らせる必要はない。エゼキエル書の神は悪人を立ち返らせるよう言ったが、生きる気が無いというのは悪いことじゃない。
 実際、障害をアイデンティティにして手帳でメンコやってるような人間にはかなり腹が立っているが、彼等もそういう生き方しか出来ない「種族」なんだろうかと思うと仕方がない感じがする。生きる目的のない人間が苦しまずに死ねるように設備・法律・そして宗教を整備しなければならない(?)
 ナチのT4作戦は何が悪かったのかと聞かれたら「キリスト教の精神に反する」としか自分には答えられない。もしクリスチャンじゃなかったら精神疾患・自殺未遂者・障害者・同性愛者などを国家社会の利益の為に抹殺することに何の反論も出来なかったように思う。生物的多様性?いまいち分からない…
 重度障害児が生活する施設に見学しに行った時にはとても感動したが、それはキリスト者としての感動、信仰箇条としての感動であって、政治的人間としての感動では決してなかったような気がする。政治なんかよりキリスト者として安らかに死ねる方が素晴らしいことだという。
 自分という人間はどうしようもない冷徹なマキャベリスト、経営的人間として造られ育てられていて、その身体の「社会的人間」としての欠落点をキリスト教信仰で埋め合わせてなんとか人間らしい考えを保っているように思える。俺は人類愛をやめたら自らに意識があることを肯定出来なくなってしまう。

 

1月20日

 時代劇なんかを観ていると思うが、やはり日本の美術的・思想的蓄積は素晴らしい。奥深い。この年になってまた日本が好きになって来た。日本という国家でなく、街々里々が好きになって来た。日本は素晴らしい国だ。如何に政治・行政・経済が偽物でも、桜が咲き梅が咲き椿が咲くだけで日本は素晴らしい。
 日本という国は中国・朝鮮や欧米の猿真似のコラージュに過ぎない国で、そのコラージュの妙の中から全ての新規なものが生まれて来たと俺は以前言ったが、最近どうにも日本文化の中にアジア的でも欧米的でもない一本の通低した思想を感じるようになって来た。俺はそれを仮に「あやかし」と呼んでいる。日本は中国文明でも欧州文明でもなく、何かそれ以前にほぼ滅びてしまった共通文明(アジア共有原始形質?)の子孫なのではないか?(丁度俺を含む一部日本人がチベットの子孫であるように?)という確信が最近強まっている。あの偉大なローマでも清算出来なかったブリテンケルトの「あやかし」達のような。
 日本とは何か?山である。遠藤周作は日本という国を一つの巨大な沼だと言ったが、俺にとって日本は国一つが丸ごと巨大な山岳信仰御神体であるような気がしている。しかしてその神聖な山の中では全ての恵みが混ざり合いあざれ合い再生している。ナウシカ腐海は「腐山」たる日本の空白な中心の神殿だ。
 日本の美術は不思議だ。日本という国は政治も法律も経済も工業も猿真似のなにもない国だと思っていたが、日本の美術には確実になにかがある。変わることを拒む何かがある。そして美術とは文化の総体から生まれて来るものであるから(?)先に挙げた日本の猿真似の中には必ず何か独自なものが含まれている。間柄の倫理学の中に何か日本人にとっての根源(「山」「あやかし」そのもの)を見出だせるのではないかと思っているのだが、なかなか難しい……そもそも間柄の中に本質は認めにくい。自他一如、悉有仏性、縁起、共生……ぼんやりとイメージは湧くんだが捉えようとするとすぐ何物か個人の意思になって逃げてしまう。
 日本はみやまの国である。御山、海山、魅山。深い山、美しい山。
 なぜ日本のキリスト教は岩に蒔かれた種なのか、なぜ根付かないのか!ジャマイカの『賜物と歌を』を聞いていて強く思ったが、そう言えば日本発の聖歌で成功した「やまべにむかいて」はまさしく人と山(神)との関係を歌った歌だったじゃないか。しかも恵みに満ちた関係を!
 梅原猛っぽいと指摘。梅原を読むか。国粋主義者の正体はこの日本固有の心性にあるように思われて仕方がない。『国粋主義者の正体』って一つ書きたいな。

 

 

1月28日

死ぬべきだった人間……

 現代は生権力の時代で、死ぬべきだった人間が不自然に生かされている。帝王切開で生まれた自分のような生き物はその典型だ。他にも親が毒親だった、地元でいじめられた、病気で上手く行かなかった、など様々な言い訳が現代では罷り通っているが、それもそれらの時点で淘汰されるべきであった人間だから言う言葉だ。国民国家が人口という国富に拘泥する以前はそんな人間は死んでいて良かった。死ぬべきであった人間が生きているから世に争いが絶えない。

 

2月1日

 レンタカーを借りてティナと三崎口に行く。まぐろ肉まんを食べていたらトンビにカッ浚われてビックリした。
 二人で海鮮丼を食べる。とてもおいしい。
余り食事に拘りのないティナだが刺身にだけは目がないようだ。
 二人で城ヶ島に行って日没を見る。
世界の終わりとはこのようなものだろうか、と思っているとティナが同じようなことを言う。僕は世界が終わる日、一体誰と何をしていたいだろうか?岬でカメラマンが独り終末の夕陽にカメラを向けている。風が強い。風に立つライオンは彼のような姿だろうか、と思った。
 そのまま16号を通ってティナを送った。途中のサイゼリアでごはんを食べた。普段の彼女は美人だと思うが、ごはんを食べている時のティナはあほでかわいい。

 

2月8日

 警察力にせよ軍事力にせよ、国家の究極的使命は暴力の行使にある。附随する福祉等の他の役割も暴力に還元可能。法律は長大な正戦論で、憲法は戦時条約(国家にとって戦時とはすべてである!) 有形無形の暴力を通貨として行動することが国民としての幸福の追求になる。

 

2月23日

 エホバの証人へ反論したいこと。
 あなた方は悪しき魂は無に還り滅びると言うが、無に還ることのなにがいけないのか。魂を滅ぼすのは、有を無とするのは神ではないか。無は神さまがお造りになった愛なのではないか。いずれは愛以外の全てが無になるのではないか。聖書は預言であり、まじわりは異言であるが、それらも止み、廃れ、愛である無のみになるのではないか。なぜ、無へと還ってはいけないのか。無から生まれたものは無へと還るだけではないのか、塵から生まれたものが塵へと還るように。あなた方は義人の魂のみが滅びを免れて地上で肉体と共に楽しむと言うが、それは神がこの世に諸々の労苦と併せて我々を置いたように、新たに人を選び出して責め苦に遭わせているだけで、ほんとうに幸せなのは滅びた人々のことではないのか。その者の為には生まれない方が良かった。
あなたは神を愛するか?たとえあなたが、たい焼きを頭から食べたことで滅びるとしても、あなたは滅びの時に主の御名を誉め称えるか?

悪しき魂が滅びるのは神の憐れみであるか?
神は憐れみを以て悪人の魂を滅ぼすのではないか。

 

2月27日

 根が無いんだ。大地に根を張って生命を広げて行くことの出来る種族か、そうではない、岩の上で枯死を待つだけの種族か。25を過ぎてから何か焦りが出て来て、過ぎ去ったことを流す生き方はやめよう、何でもいいから積み上げて行こう、と思い始めて来たが今度は何も出来ずただ流されるだけになった。いやしかし、確かにミドルティーンの昔に比べれば、自分は生きているという自覚がハッキリと出て来ている。昔は何もかも薄ぼんやりとしていて、自分の人生は自分のものであるという強烈な自意識に欠けていた。言ってみれば物心がまだ半分しかついていなかった。自分という半他人に慣れていなかった。
 高校時代、自分なりにかなり深く生き方に悩んで色々な本を読んだと思っていたのだが、それにしては思い出せることは少ない。じゃあ読書以外の何かを楽しんでたんじゃないの?と考えてみても、午後しか学校に行っていないので授業の記憶は殆ど無いし、部活も殆どだらけてただけ。強いて言えば散策はよくやったな。2時間目から出席しても7時間目から出席しても文部科学省には「遅刻」として報告されるので、それならギリギリまでサボッてやろうと思って色んな場所を歩いて時間を潰していた。革靴が消耗するので結果的には高くつく遊びだったが、散策しながら考えたことは多かった。

 

3月1日

 寝ていたらティナが家に来た。
 コロナ騒ぎで映画館が閉まっているので、七人の侍を観る。4Kリマスターはたぶん字幕が無いので、初見のティナにとってはこっちの方が良かったかもしれない。
 キノコと昆布で出汁を取ったうどんを作って二人で食べる。ベジタリアンみたいな食事だが、うまい。ティナも美味しいと言ってくれた。

 昔、仕事中に沙也佳さんが言っていたが、普通の彼氏彼女というものは会う度にセックスをするのだという。それはまあ、彼女に会う最大の目的がセックスなのであればそうなのだろう。しかし僕がティナに会う時にはセックスの優先度は精々四番目くらいだ。セックスの他にもやりたいことは一杯ある。子どもの頃からモテ続けていない男は女に会うとつい体を求めてしまうのだろう。哀れなことだ。女の滋味は体よりも心にある。それが若い女であれば尚更だ。逆説的だが、若い女ほど心がよく、年老いた女ほど体が良い。雛祭りにも会いたいが、ティナの高校は雛祭りの日に卒業式をやるらしい。残念。

 

3月19日

 創作談義で人とケンカ。「君には死を賭して言いたいテーマはあるのか!」と怒ったが、自分自身もこれを短く説明するのは難しいな。「救済のグロテスク性」とか「最高度の抽象である神は最高度の具体として現前している」とか、色々と言いたいことはあるけれど、公共電波を全部10秒間だけジャックして言いたいことは何かと聞かれたらそれは「ちいさな愛」だと思う。みんなちいさな愛、ちいさな愛を大切にしなければならない。十日に一度断食をして米を分け与えたホーチミンのように。

 

4月7日

 海が好きだけれど体質が合わないので海には住めない。同様に明るくて元気な女が好きだけど明るくて元気な女と一緒にいると心が磨り減って行くのでいつもジメッとした女とばかり心も体も相性が合う。楽園は美しいが俺の住む場所ではない。

 

5月26日

 自分は痴呆のように馬鹿になったなと感じる。精神病のせいだとか、服薬のせいだとか、色々と言われるけれど本当のところは老化なんだと思う。十九歳かそれぐらいかの頃の繊細で明晰で透き通るような思考はどこかへ行ってしまった。あの頃は怖いもの知らずでズンズンと思考の足が進んだものだった……
哲学書を一日二日で読んでいる人を見ると凄いなと思う。もう別世界の人間みたいだ。いつからか頁を捲る度に引っ掛かるようになってしまって、今では手に取るのも恐ろしい。新しい何かが自分の中に投げ込まれるとその度に精神が恐慌を起こす。豫才君、僕は「鉄の部屋」の中で静かに微睡んで死にたいのだ。

 「哲学が楽しい」という発言を見て嫉妬に満たされてしまった。僕にはもう考えることは出来ず、ただ信じながら待つことだけが許されている。太った豚にも痩せたソクラテスにもなれない。痩せた豚だ。主よ、神の国には痩せた豚にも安寧の場所があるでしょうか?
 僕は永遠の命を信じる。僕の信仰告白には本来、その言葉しか要らなかった。最近のエキュメニズム派の教会では永遠の命の話はタブーのようになってしまったが、僕は永遠の命を信じるし、願う。何故ならばこの世には永遠以外のすべてがある。そして目の前に持てるものを願い信じ希求することは出来ない。
 残酷だ、残酷。世のすべては残酷で、人間には嘆くこと、悲しむこと、泣くことぐらいしか出来ない。

 

5月27日

 歩いていて思う。何故敵を愛するのか?ではない。敵だから愛するのだ。
 ああ、また日が沈む。愛する太陽と毎日離別しなければならないのはとても苦しい。
 仏教は、と言うより浄土教はやはり素晴らしい。元の仏教とはかけ離れているが、思想として素晴らしい。本当にそう思う。もし僕が輪廻転生を信じられたらキリスト教徒ではなかったかもしれない。
 ベルイマンが何故神との関係を撮らなくなったのかが最近少し分かる。神もまた孤独に思い悩む一人の罪人に過ぎない。神は一者の孤独に打ち震えて「ことば」を作ったのかもしれない!アクィナスの言う「神の至福」は殆ど孤独の中での大悟に近い。神の孤独。神もまた、人であるにせよことばであるにせよ何者かに愛され赦されたかったのだろうか?

いや、神の愛と人の愛とは異なる。神の愛は存在を与えるが、人の愛は存在を認める。アッバ、父よ、しかし意識にとって認めるということは与えるということに他ならないと言われると反論できなくもあるのです。復調したらエディット・シュタインでも掘ろうか?

 人間は何故哲学をするのかと聞かれたら、この世に生まれて来たことが悲しくて哲学をしているのだと僕は答えたい。まあ、人間が主語だから答えは一意に定まらないけれど。この世に生まれて来たことが嬉しくて、感謝の哲学をする者もある。深い悲哀。

 大衆の美しさは、今についてはともかく、明日については絶望していないことだ。最近、とみにそう感じる。

 

6月20日

 無宗教者の神殿には己しかいない。崇めるべき神も、仕える神官も、神殿娼婦も、そして生け贄までもが自己だ。彼等は自己崇拝者でありながら同時に自己燔祭者でもある。捧げ物をする相手として己しか認められず、そして捧げ物には己しか見つけられなかった。ドン・デリーロ『ボディ・アーティスト』独裁者と臣民の節を読んで思う。

 

7月24日

 古い朝。悟りの後に待っているのは古い朝なのではないか。日の休むところ、西方に極楽浄土はあるという。それまでには夜見の国を通って行かねばならないという。人が夜を抜けて静かな目で見るものは、古い朝なのではないだろうか?

 

8月1日

 幸福とは富や権力よりも「飼育感」であると思う。昆虫を飼っていた幼い頃、毎日成長して行くのが楽しみで数分おきに飽きずに飼育箱を見つめては成長を待っていた時間……みたいな。毎朝起きる度に世界の歴史に対してそれを感じて、健康にボケずに長く生きたいなと思う。世界は大きな大きなアクアリウムのようなもので、その中で無数の微生物がそれぞれに微妙に関与し合う生態系を作っている、そう思うと観察するのが楽しくなる。だから株価も見ていて楽しい。

 

8月22日

 食糧備蓄令の中国だが、テレビCMに人民解放軍の募集がいつも流れるようになった。自由主義と管理社会、どちらが21世紀の勝利者となるのか見物だ。僕はその時に損をしない社会的ポジションを今から取らなければならない。学級裁判に逆らってはならない。人類の集団的行動は全て軍事に従属しており、民衆のヒステリーに理で立ち向かってはならない。

限度額

 水爆と自慰のことで頭が真っ白になり怒られ続けた勤務を終えて、吹き飛ばされそうにからっぽのおれはせめて中身を詰めようとフラフラとラーメン屋に向かう。塩と油にまみれた刺々しいラーメンの味はどこかしら自傷の感覚に似ていて、自分がめちゃくちゃになって行くのが心地好く吐き気がするまで啜り続けてしまう。糖を血液に溶かされたおれはドンブリを下ろした時から射精のことばかり考え、帰り道のバスに乗りながらエロサイトを巡り淫靡な漫画をショッピングカートに投げ込んで行く。汗まみれの全身の中心がむわんと我慢汁の臭いをさせ、反対側に座っている小学生の女児も本能でしかめつらを作っている。バスの道のりはそんなに長くないからおれは女の裸をあらいざらい見つけては実験動物の猿のようにひたむきにクレカの番号を打ち込み、家に着く頃には指は疲れ果て、なれども攻撃的な部分だけは勃起して、心は全身がほんとうに芯から死ねる瞬間を待ち望み狂っている!

 家についてからのことはよく覚えていない。ただ色褪せて悲しい風景が広がっていたような気がする。大量に買われたエロ漫画も一つを除いては開かれることなくタブを閉じられ、見るだけで気怠さを催すそれは少しずつ意識の外へと追いやられておれとは無関係の1と0の列になってゆく。

 不意におれは生きているこの肉体が恥ずかしくて仕方がなくなる。おれが打ち込んだクレジットカードの番号で困っている友達がいくらかは助けられただろうし、おれが自傷のようにして食べたものを糧として育った筈の子供たちもどこかにいる。おれが受かったせいで大学に行けなかった真面目な受験生がいれば、おれがこの安アパートを占拠してだらだらと怠けてばかりいるせいで高い家賃に追われて喘いでいる労働者だっているだろう。おれが生きているせいで肩身の狭い思いをしている人間が探せばいくらでもいる。だのにおれはと言えばただ苦しみの要請するままにからっぽの自らを埋め立て傷付け、せっかく呑み込んだものを白くどろどろとしたものに変えてきたならしい角から吐き出してしまう。原罪をどうすることもできない。生きていることが恥ずかしい!

 湿りはじめた秋風の音を聞きながらおれはぼんやりとゴキブリのことを思い出す。行くあてもなくフラフラと御堂筋を南へ歩いていると、夕方の雨に押し出されたのだろう下水の臭いがヌワッと地表へ這い出て来て、空にかえってゆく水に乗っておれの全身を包んでいた。道行く人々は顔を歪ませながらつかつかと先を急ぎ、その足元には5匹ばかりのゴキブリが人波を縫って歩んでいる。家の中にいると蛇蠍の如く嫌われる連中だが、この雨上がりの御堂筋ではさして気にする者はいない。ぼんやりと眺めながら歩いている間におれもそれらを気にしなくなったようで、いつの間にか見失ってしまっていた。踏み潰されてしまったのか、今もどこかで子孫が生き延びているのか、そのどちらでもうれしいな、救われるな、とおれは思っていた。

中身

 かぶとむしの蛹を潰したことがおれはある。朝にざんざかと落とされた水が陽に灼かれて天に戻って行く、むせかえるように甘ったるい六月の午後二時……安っぽい唐揚げに似た奴の腹に割り箸を突き刺して少しずつ広げると、腐り溶けた牡蠣のような濃厚な蜜が、どこでもいいから外の世界に出たかったとでも言いたげにびゅくびゅくと漏れ出て来た。おれにそれをしろと命じて来た女は同い年の癖に無理に大人ぶったいつもの態度を消し、しげしげと唐揚げを見つめながらその整った顔立ちを無邪気に崩して喜んでいたが、今にして思えばそれは奴の死に様が、寸止めに失敗し幸福の絶頂の「いく」瞬間にだけ擦られることなく終えられてしまった無様な射精にひどく似ていたからだった。ひとしきり奴を弄び僅かに出来た神経のようなものをひきずり出し終えると女は興味を失ったらしく、小便がしたいから周りを見張っていろとおれに言いつけておもむろにホットパンツを下げた。女の小便が滔々と流れて土に当たる音を聞きながら、こどものおれは破れ果てた奴の精液から漂って来るベトつくような腐葉土の臭いに興奮し、まだすべすべとしている小さな男根を固くして上向かせた。夢心地のまま破り捨てられたやつの死に様のむごたらしさを想像してそれを触ると背骨の下の方から小便が出て来そうな感じがして来たが、用を終えた女に呼び止められたせいで気が散り、それを至らせることは叶わなかった。おれは自分の股についている幼いそれの意味をまだ知らなかったが、女は父親が多かったのでとうに気が付いていたのだった。

 

 コンビニのウイスキーのとびきり安いやつを抱えてアパートに戻ると、朝の陽射しがおれの布団に巣食ったダニを焼いている。今日の仕事もなにもなくただ疲れただけだったから、おれはせめて考え事もしないようにと酒を飲む。疲れ切り何も胃に入らないおれは胡瓜の浅漬けを後生大事に噛み砕き口の中でペーストのようにして、それをエグ味深いウイスキーでぐいと流し込んで独特の青臭さを楽しむ。まるで自傷だ。生きていることが分からないからこんなことをするのだろうと思いながらおれは寝転がりなにも考えないようにする。生きていることを知る為に何かを感じたくなってちょっとした舌の自傷を企ててみたり、はたまた何も感じたくなくなって倦怠の内に身を任せてみたり、にんげんのすることはよく分からないなと思ったが、そのにんげんがおれであることに気が付いて少しおかしくなりおれはニマリとした。

 強い酒を飲み干し仰向けになって朝の太陽を眺めているとおれの全身はとろけ、自分が今の形を保っていることが疑わしくまた不思議に思えて来て、もしかして自分の体には硬い殻と、その他のどろどろになったすべてしかないのか知らん、等と考えていたが、ふとあの安っぽい唐揚げのことを思い返すと、奴の心地もおれのようにそう悪くはないものだったのだろうか、と自問したくなるのだった。今おれの腹に長ドスが突き刺され、若く新鮮でまるで不健康な血とすりきれたはらわたが飛び出して来たら、茶け始めた煙草臭いシーツと下ろし立ての白い夏掛けが見事な深紅に染まるだろうし、それはなんとも素敵なことじゃないか!奴の惨たらしい死に方も、奴にとってはそう甘美なものでなくはなかったのだろう。

 そういえば帰り道の街道で、破裂してその後つぶされたような形の肉を見つけてきた。傍らにはドブネズミのしっぽだけが形を保って寂しく転がっていた。半ば夢の中にいるおれや唐揚げのそれはともかく、少なくとも彼にとって死は心地好くなかっただろうなと思う。それは彼が硬い殻に包まれておらず、また自ら動くことが出来ない訳でもなかったからだ。そしてつぶれた肉は腐って行く。爛々と輝きおれを苛む太陽の厚かましさが疎ましく、おれは出来ることなら砂漠に独り立つサボテンになりたいと思った。サボテンは触れるものを全て傷付ける硬い殻に覆われているし、腹の中には果肉がたっぷりと詰まっていて、太陽の下で情熱的に死ぬ時にも、月の下で孤独に死ぬ時にも、きっと心地好くてたまらないだろうから。動くことの出来ないサボテンには絶対の孤独がある。サボテンは選ぶことの出来ない孤独の中にあるのだ。そこを行くと黒猫は悲しからずや、黒猫に生まれただけで目くじらを立てられ、どこへでも歩いて行くことが出来るのに、どこに行っても愛され切ることが出来ない。とは言えど孤独に酔い切ることも出来ない。黒猫の顔、黒猫に生まれて来て何が悪いとでも言いたげな堂々とした顔を見ると、おれは黒猫の強い生き様を思って泣きたくなり、あれかにもあらぬまま眠りへと落ち込んで行くのだった。

  太陽はまだ朝の勢いのまま厚かましく輝いていた。寝ていたおれは突然に胃が縮むような感じがし、フラフラと歩いて便器に顔を突っ込み胃の中のものを全て吐き出した。吐くときの顔の角度が悪かったらしく、ぐちゃぐちゃになった胡瓜が鼻に詰まり、おれはしきりに洟をかまなければならなかった。吐き気がおさまらないおれはそのまま便座カバーに頭をもたれさせて寝ることにし目を閉じたが、そのせいで吐き散らかした胡瓜の色そのままの緑色の海の夢を見た。夢の中のおれは緑色の海を眺めてひとしきり泣き、サボテンの内臓はこんな色だろうか、と思いながら孤独に身を震わせていた。

阪急総帥ってデケェよ

昔の先輩だった関西人の長町先輩と喫煙所でたまたまバッタリ出会った。近所に阪急のお偉いさんが女を囲う為だけのこぢんまりとしたマンションがあると聞いたので興味本意で連れられて侵入したのだが、五階のエレベーターホールで擦れ違った夜の蝶風のきらびやかな女に「このマンションはワケありの女しか住んでへんとこなんやけど、なんでアンタらみたいな若造がおんの?」と詰められ、非常階段に逃げようとするがドアを開けたその先は虚空、追い付いて来た女の手を引き剥がし「誰か!誰か!」と叫ぶ女を尻目にエレベーターまで引き返して乗る。扉が閉まる。と思いきや閉まる直前にさっきの女がドアに腕を挟み込んで無理矢理止めて来る。騒ぎを聞き付けた住人がなんやなんやと集まって来た。夜の蝶が扉をこじ開けると、住人全員の視線が俺達二人に鋭く突き刺さる。全員が目力の強い美女で、芸者風の上品な初老の女から女子高生にしか思えないヤンキー風のギャルまで10人ちょっと、12人(?)ばかりいる。脅え切ったおれを認めるとギャルがいきなり顔に跳び蹴りをして来て、おれは倒れ込む。夜の蝶が扉から手を離したので、閉まり続ける扉に太股が挟まれて痛い。非常に痛い。ギャルはおれの胴体に跨がって怒りの形相で仁王立ちをしている。ホットパンツのすきまからしょーつがみえている。細く引き締まった筋肉質の太股が視界の中で動いたと思うと、おれはこめかみを蹴られていた。「アンタここに足踏み入れるイミわかっとんの?」急いで駆け付けて来たので当然だろうが、派手なギャルの癖に色気の無いサンダルだな、と思った。しかしそれがいい!恍惚としたおれの目を不気味がるかのように、ギャルはもう一発おれを蹴る。今度は左肩だ。痛い。ついでにさっきからドアが閉まり続けていて痛い。サンダルがすこし脱げ、足の裏があらわになる。足の裏も小麦色をしている。地黒なのだろうか、混血なのだろうか。そう言えば顔立ちもどことなくローラに似ていてエキゾチックだ。またドアが閉まる。痛い。同じ部位ばかり挟まれているので更に痛い。少し体の位置をズラす。「逃げんなッ!」今度は鼻を踏まれる。ジワッと涙が出て来る。慈悲は無いのか?痛いぐらいに勃起している。泣いていると外の何人かが足を掴んで来て、エレベーターホールに引き摺り出された。長町先輩も縮み上がって俺の側に正座している。「警察に電話や。自分らムショに入れたらな天下国家のためにならんわ」「ここをどこやと思てけつかんねん」「鬼畜や」「ションベンかけたろかこの変態」腹を見せて倒れた俺を囲み美女たちが次々に罵声を浴びせて来る。やっぱり関西弁の女は怖い。腰の奥が甘く痺れ、熱く溶け始めるのを感じた。「聞いとんのかタコ!」ギャルの蹴りが左肩に炸裂する。そう言えば俺はプロ野球選手だった(は?) 左肩だけは勘弁して貰わなければならない。腰の奥が熱い!調子に乗って次々と蹴りを入れて来る女たちに無我夢中で叫ぶ。「自分は阪神タイガースのっピッチャーのぉ、内藤といいまっ、ス!左肩だけはァ!ァア!やめてっ!」女たちは構いもせずに暴行を浴びせ続ける。その度に甲高い声で叫んで左肩を庇う。女に脅えて命乞いをする自分が情けなくてたまらない。腹の底で千匹のめくらのみみずが目を覚まし、ぬるぬると渦を巻いて互いを喰らい合っている。食い殺される!

 

「なんの騒ぎや」隣のエレベーターから降りて来た老人の声を聞くと、女たちは一斉に静まりかえった。いつの間にかおれの臍田は熱を失い、代わりに熱くぬるぬるとしたものが股ぐらに余さず塗りたくられている。「この子らが若い子に狼藉を働こうと忍び込んで来ましたのや」銀座のママのような和服の女が最初に口を開く。「ほぉ…」俺の恍惚に震えた顔を老人がしげしげと眺めて来る。きっと内出血が出来ているに違いない。「あのっ!」それまで縮み上がっていた長町先輩がいきなり素っ頓狂な声を上げる。「阪急総帥の小林翁とっ、お見受け、しました。私は××電力の長町の息子でございます。翁にはっ、以前お会いしたことがあるとありまっ、存じます」えっ、知り合いだったの?「おお、あの時のボンか…」小林翁(?)がそう言うと急に剣呑な空気が和らいだ。しかしなんとまあ柔らかい雰囲気の爺さんだ!「おまえ」「はい」爺さんの呟きに銀座のママ風の女が返事をする。「おまえ」と言うと銀座なのか……射精を終え冷静になったおれは変なところに感心していた。「警察には突き出したらんでええ。エエ暮らしを夢見るのも男の子には必要なことや」おれは全身のバネを使って仰向けの体勢からひっくり返り、美しい土下座姿勢で着地する。「申し訳ありませんでしたあァーーーーーーーーーー!!」「ちゃんと謝れるのはエエことや。そやけどな、女の子を傷付けたらアカンで?さ、もう行き」ボロボロになって足腰も立たない俺は長町先輩に支えられてようやくエレベーターに乗り、扉が閉まると壁に寄り掛かって座り込んだ。やっぱ阪急総帥はデケェよ……

 

起きたら夢精していた。東京のアパートで一人だった。パンツがもう無かったので洗面台で雑に洗い、石油ヒーターの前に置いて乾かしている。書いている間、無性に悲しくなって来て曖昧に剤を入れた。水を飲むとひどく空腹だったことに気が付いた。夜だった。